ポラロイズマリー

コハクノアカリつながりで、ポラロイズマリーというバンドを知った。

 

ギターなしで、ピアノが特徴的。大阪で活動してるらしいのだけど、12月のライブを最後に、解散するらしい。なんだか残念。

 

 


雨音ストラグル / ポラロイズマリー

 

 

ピアノが雨粒みたいにキラキラしてる。

 

コハクノアカリ

twitterはじめたばかりなのだけど、ブログとかとはつながり方やスピード感が違っておもしろい。

インディーズで活動してる人とか、SNSでこまめにプロモーションしてて感心してしまう。スパムと違い、パーソナルな感じがちゃんとある。

先日も、コハクノアカリの歩くんという人がフォローしてくれて、曲を聴いたらとてもよかった。

子供達が好きな最近のアーチストもいいんだけど、リズムが主役という感じで、昔ながらの柔らかなメロディーラインなんかが懐かしくなってしまう。コハクノアカリは、そんな世代にも心地よい。

バイオリンもあるからかな、落ち着いた優雅さも。

歩くんは、楽曲提供だけでなく、絵も描いたりするらしくて、曲のイメージに共通するやわらかな雰囲気。

かなりイケてる感じのお兄さんなのだけど、そよ風がやさしく吹き抜けるような、爽やかな安心感。

マスのチャンネルで画一的に拡販するのではなくて、ミュージシャンが直接フォロしてくれるとか、出会いに感動があるなぁ。 

 

 


コハクノアカリ / パレードがやってくる【PV・高画質】

 

 

 

会話はキャッチボールだったのか

今春、娘が当地で高校に進学して、いまだに標準語のままですが、みんな標準語も話せるバイリンガルなので、それは全く困らないらしいです。

ただ、会話の組み立て方がだいぶ違うので、戸惑うことがあるとか。

そんなことを話してて、東京でフツウにやってた会話の組み立て方が、ちょっと異常だったんじゃないかと思うようになりました。

以前は、何か言いたいことがあると、それをコンパクトにまとめて言い切る。そうすると、相手側もそれに異議がなければ、自分の言いたいことを同じようにコンパクトにまとめて言い切る。こんな感じでした。

マクロに見れば、両者の発言に関連性があるんだけど、直接的なキャッチボール形式になってないのです。

A、B、Cという展開のある話しを、A+B+Cと一気に言い切ってしまう感じ。相手も、それを楽しんで、次に、自分の話に移る。

ずっと疑問に思わなかったのだけど、これってキャッチボールではないですね。お互いにカゴいっぱいにボールを用意しておいて、捕球はせずに順番に投げていく、といった感じ。

順番に話してるので、対話してるように見えるだけ。

お互いの高札に、漢文で布告文を順番に書き込んで行くみたいな、ポキポキしたやりとりなのです。標準語で話していると、そんな無愛想な感じになってしまいます。

ツイートに対して、リプライでなくて、コメント付きのリツイートを重ねていく感じかな。お互いに少し距離をとってますね。


当地では、A+B+Cというハナシをするとき、まずリードとして一方が「A」というと、相手方が流れを読んで「B」と続ける。そのうえで「C」で落ちる、という予定調和のリズム。

これだと、一つの球をキャッチボールしてる感じになりますね。こちらのほうが、会話や対話といった感じになります。

我々が東夷の蛮習で話してしまうと、こちらのみなさんは、「C」を期待しつつ「B」と受けてくれるんです。でも、最初に「A+B+C」って全部喋っちゃってるので、話はそこで終わってて、後は沈黙しかないのです。

そうすると、相手は「オチは、オチ…?」って置いてかれたみたいになってしまうと。

なので、西の方が関東に来ると、だれもハナシを拾わないので、言いたいことが宙に浮いてしまいます。自分で拾うしかありません。ボケとツッコミを独りでやらないといけない感じ。きっとさみしくなるはず。

 

対話を通じて一つのハナシを共同で作り上げていくのは、当地の皆さんには当然でも、東の標準語原人としては、レベル高いなと思うのです。漫才の文化ですね。

標準語だと、対話的な内容であっても、漫談や落語みたいに結局一人で喋ってる。そんな感じのこなれない言葉。明治期にできたばかりのエスペラント人工言語なので、感情の乗らない未熟な段階なんですね。

おそらくは、時代とともに少しずつこなれていって、血の通った母言語に成長していくことでしょう。

でも、その成長を見とどけられない世代の自分には、神戸や大阪の言葉が心地よいです。接客とかでも、あんまり標準語にしないで、って思います。

東京の不味いうどんを食べてみたいあなたに

どんなものでも、東西で味付けが違うわけですが、東西の違いといえばやはりうどんが思い浮かびます。

すごく簡単にいってしまえば、東京のうどんは不味く、西日本のうどんはフツウに美味いという身もふたもないことになってしまいます。

関東の蕎麦やうどんで育った私でも、子供の頃に最初に四国のうどんを食べた時、断然美味いと思いました。

カップうどんとか、東西で商品を分けているので、東京土産にまずいカップうどんを買ってくるのが、ネタとして流行ってたりしますよね。

最近では、ありがたいことに、讃岐うどんが有名になって、東京にもチェーン店が進出し、だいぶ西の味が普及してきてはいます。

でも、チェーン店といっても、ある程度味を調整しているようで、同じ系列でも、大阪や神戸で食べる方が美味しいです。

でも、いまだに関東では、西日本のうどんを美味いと感じない人も多いです。これ、すごく不思議だったんですが、もしかすると、食べ方が違うのかもしれないです。

関東では、うどん汁とはいいますが、ダシとはいわないですね。ヒガシマルうどんスープとか、スープとかダシという呼称の背景には、そのスープ単体で飲んで美味しいものという意識があると思います。

でも、汁というと、これはつけ汁なんじゃないかなと。つけ麺ではないにしても、やはり汁は麺に味をつけるだけのものであって、それ単体で飲むという意識があまりないというか。

東京で蕎麦やうどんを食べるときには、味の付いた麺を味わって、汁をフツウに残しますけど、西日本のうどんだったら、麺とダシを一緒に食べる感じがします。

東京のうどんを、ダシの感覚で食べてしまうと、味が濃すぎるわけです。西の食べ方だと、麺と多めの汁が一緒に入っていくので、予定よりも味が付きすぎると。

 

東京にいって、その不味いうどんを試してみたいという方には、ちょっとした注意点があります。

それは、うどん屋を探してしまうと、丸亀製麺とかはなまるうどんとかのチェーン店か、あるいは高級な讃岐うどんの店に入ってしまうことになるので、アレンジがあるとはいえ、味は普通です。

なので、本格的に不味いうどんを食べようと思ったら、あまり高級でない蕎麦屋を探して下さい。サラリーマンのおじさんたちが、昼食にもりそば食べてるような店です。

昔は、四国で蕎麦を食べようと思っても、うどん屋しかなくて、うどん屋で蕎麦を注文したわけですが、これと逆に、もともと東京には蕎麦屋しかなくて、うどんを食べるには蕎麦屋で頼むしかなかったんです。

なので、街の大衆的な蕎麦屋でうどんを頼めば、期待に違わぬ、伝統の不味い味が楽しめます。

それを、西日本式にダシを飲むように、たっぷりのうどん汁を、麺と一緒に口に入れてみて下さい。ウッとくる、強烈濃厚な味と香りにむせ返ることでしょう。

ちなみに、できれば美味しく食べたいという方は、視覚にまどわされることなく、「この食品はつけ麺だ」というゆるぎない信念で食べてみて下さい。

確かに汁に浸かってはいるんですが、そのつけ汁から、麺を救出して、汁を飲まずに麺だけ食べ、汁は盛大に残して下さい。そうすると、それなりに美味しく食べられますよ。

周囲のおじさんたちをみてみたら、おそらく、もりそばばかり頼んでると思います。「大もり!」という「大盛のもりそば」の略称が飛び交っていることでしょう。

うどん、誰も頼んでませんね…。おそらく、うどん派は、東京ネタを探してるあなただけです。東京では蕎麦のほうが美味いのでね。

 

おくにことばと標準語

大阪や神戸でも、ふつうのお店の接客では、標準語で話しかけられることが多いです。でも、ちょっとくだけた雰囲気になると、方言が出て、そのコントラストが素敵だと思います。言語生活が豊か。

かっちりした標準語と、ちょっとくだけたおくにことばと、その場で自然に切り替わるのがいいですね。

東京にも下町には、江戸落語みたいなカッコイイ言葉があって、報道特注の生田よしかつさんの言い回しなんか、独特のリズム感とスピード感がいいですよね。普通の東京人はトロいので、あんなふうにはしゃべれません。搬送波の波長が違うんです。

下町のおばさんとか、昼御飯になると、「そろそろおしるにしましょ」とか「ひ」と「し」を区別しないんですが、一般東京人はフツウに区別しますし…。

友達からバーゲンの情報を聞いて、急いで行ってきた、という場面だと、「ソレッてんで、行ってきたんスけどね」と、軽快です。標準語だと、臨場感が出ません。

こういうおくにことば、ホント羨ましい。下町でないフツウの東京で育つと、日常生活も標準語になってしまうので、スピーチレベルを変えたりしにくいです。ずっと平板な感じにしか喋れないので、感情が乗りません。

東京には、東北や北関東から来た人が多いのですが、ある程度親しくならないと、出身地の話題をしない傾向がある気がします。それと、外では、きっちりした標準語しか話さない感じ。もっと、柔らかいおくにことばを聞かせてもらいたいな。

正確じゃないかもですが、東京の人口は、一年で4分の1ぐらい入れ替わるらしいです。どこでも混雑してて、みんななんとなく緊張してますね。

そんなこと、考えたこともなかったですが、大阪や神戸は都会なのに、街の人たちがどことなくリラックスして、表情が柔らかくて、こちらもだんだん緊張がほぐれてくるんです。それで、改めて、今までずいぶん緊張して生活してたなぁと気づいた次第で…。

東京での言語生活は、平板な標準語だけなので、若者たちが、語尾を妙に伸ばしたり、感情が乗るように工夫するのもわかる気がします。標準語だけの生活って、ツマラナイですから。

標準語は、テレビなどで流れてるので、おくにことばがある人は、普通にバイリンガルに育つことになります。それを様々なグラデーションで切り替えて喋れるというのは、とても豊かなことで、羨ましいです。

エスカレーター左右問題

このところ、エスカレーターでは、無意識に右側に立つようになってるので、たまに仕事で東京へ行くと、うっかり右に立ちそうになります。

先日、姫路駅の在来線から新幹線へ乗り換える際のエスカレーターで、皆さん左に立ってるのを見ました。きっと東京へお帰りになるのでしょうね。新大阪でもそうかなぁ。

ネットをみると、由来がどうとか、左右の地理的な境界はどこかとか、様々な研究があるのに驚きます。私もそうですが、暇なんでしょうかw

歩行者は右側、という意識であれば、右に立つのが普通とも思います。でも、追い越し車線を空けておくという意識ならば、自分が車だと思ってるんですから、左立ちになりそうな…。

海外では右立ちが主流という報告も見ましたが、海外は車両の右側通行が主流なので、そのあたりも考慮しないと、分析にならんですね。

まぁ、イグ・ノーベル賞には、ちょっと弱いテーマでしょうか。

懐かしい東京の味

畿内に転居してしばらくたつけど、東京を懐かしむことが驚くほど少ないのは意外でした。

それでも、よくよく考えてみると、握り寿司のシャリが東京では甘くないので、それが懐かしいかなぁ。あれだけは、東京のが美味しいと思う。四国や九州は、さらに甘いですよね。デザートみたい。

ちなみに、大阪寿司は別ジャンルなので、これはこれで納得の美味しさ。

あと、蕎麦は東京の方が美味しいと思うけど、蕎麦限定なら、もっと美味しい地域があるから、東京独特の話題じゃないですね。

 

たまに仕事で東京に行って、こちらに帰って来る時、お土産に困ってしまいます。東京にはいろんな店がありますけど、よくみると神戸や大阪が発祥とかで、土産にならんのですよ。

でも、東京に行かれる方に、ひとつだけおすすめできるものがあります。

新橋にある、巴里小川軒のレイズン・ウィッチ。

毎日開店後すぐに売り切れるので、電話かネットで予約しておくとよいです。通販やってないし、新橋店と目黒店でしか手に入らないので、東京土産にいいです。

鎌倉の小川軒とか、同名のお店もあって、通販や百貨店の催事などでも手に入りやすく、それなりに美味しいのですが、日持ちするように作るためか、フツウの味。

それなら、セブンイレブンでも、タリーズでも、似たようなの買えますからね。

新橋の巴里小川軒のは、ホントに別物。大きくジューシーなレーズンとたっぷりのクリームが、バターが強く香る焼きたてのクッキーに挟まれたばかりの状態で、店頭に並びます。

一口食べると、作りたての食感とともに、豊かな香りと味に襲われます。

コスパもよいので、東京に行かれたときは、是非お試しください。